土浦城祉・櫓門の前に「明治4年の土浦城」という興味深い地図がありました(明治4年は1871年)。この地図を見ていただければ、土浦城下が霞ヶ浦湖岸の低湿地に形成されたことが一目瞭然ではないでしょうか。旧川口川は桜川の古い川筋になります。旧桜川は、かつては土浦城の堀から川口川に至る川筋を成しており、城も水害に見舞われていたことから、1459年から3年かけて、当時の土浦城主・若泉三郎が、旧桜川の大規模な河川付け替え工事を行ったと伝えられています。土浦城下は、陸地というより、低湿地に形成された人工の島といった方が当たっている気もします。明治に至ってもなお、沼地、低湿地が亀城公園の近くにまで迫っていたことがわかります。現在の土浦市街の中心部となった土浦駅の周辺がどのような状況の場所であったかも想像できますね。さらに、現在の道筋とこの地図を重ね合わせてみると、この当時の道筋の多くが現在に残り、川筋、堀筋が埋め立てられ、新たな道筋となって現在の市街が形成されたことがわかります。
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