土浦がなぜにここまで無様な都市の姿をさらすことになったのか。その最大の要因の一つは「川口川」の暗渠化です。私は20年前、土浦らしさは「川と都市」であると言いました。水郷都市土浦は川を失うことにより、無様になり、美しさを失くしたと思います。川口川を暗渠化し、その川筋は私が高校生の頃は駐車場になっていました。その後、1985年に筑波万博が開催され、それに間に合わせるために川口川の川筋に沿って土浦高架道が建設されました。それと並行してモール505が建設されました。これらは、空が見えていた土浦の中心市街地を暗いものにし、都市景観を損ね、つくば市の隆盛とともに凋落する土浦市という対照を描き出すことになります。その姿はあまりにも無様で目を覆いたくなるものです。私がこの都市の高校に通っていたことを思うこともためらわれる、というのが正直な感想です。
もし私が土浦を再生できるとしたら、土浦高架道を撤去し、モール505を撤去し、その後に川口川を再生させ、霞ヶ浦から船で保立食堂前まで航行できるようにします。水郷都市復活です。語りたくもない無様な都市でなく、語りたくなる美しい都市への再生。もしそういう都市に生まれ変わるなら土浦に暮らしてみたいと思えるようになります。
その昔、韓国のソウルにチョンゲッチョン(清渓川)という排気ガスで薄汚れた大通りがありました。鍾路、乙支路、清渓川という3つの大通りがソウルの中心市街地に並行して通っています。道路なのになぜ川なのだろうとは思っていました。今でもチョンゲッチョンと言うと、排気ガスで黒く汚れた光景を想起します。その後、チョンゲッチョンは掘り起こされ、市民が憩える水辺空間に甦生しました。その名前からしても清渓川。清流の名前にふさわしい都市環境の再生です。やればできる! という事例です。
古い映画や写真などでも見たことのある、川口川の木造の太鼓橋。あの風景を現実に眼前で見たいものです。人々が都市の美しさを感じ、人々が移り住むようになれば、都市は再生します。そういう都市の再生を願いたいものです。
そのような思いを抱きながら20年ぶりに川口川沿いを見て歩きました。
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