これを検証してみることも、この企画の狙いの一つです。交通手段が舟から陸上交通(車・鉄道)へと変わり、水郷の状況も昔とは全く様変わりしました。加えて常陸川水門が出来た後の水郷は、水資源が管理されるところとなり、水辺は護岸堤で固められ、真菰や葦が生い茂っていた水辺は失われてしまいました。水位も調整されているため、流域の水田や湿地が水に浸かったりすることもなくなりました。さらに言えば、水郷情緒に人々が魅力を感じるかどうかといった人の意識の変化も水郷情緒を考えてみる上では大切な要素の一つです。かつて潮来を題材に数多くの歌が作られ流行しました。近世には潮来節と呼ばれるジャンルの歌が全国津々浦々まで流行し、潮来の水郷情緒が親しまれてきました。20世紀、音楽がレコードによる伝播形態に変わった後も『船頭小唄』『潮来花嫁さん』『潮来笠』などのヒット曲が生み出されています。こうした歌に表現された水郷の情緒は、ある時代までの、あるいはある世代以上の文化的なものなのでしょうか。水郷の観光客層は中高年層が多いようです。現在、演歌が廃れてしまったように、嗜好性の強い文化は、世代交替と共にうつろいうるものかもしれません。 この日はお子さんを連れた家族の方の姿も多く見かけました。私が子供の頃に見た霞ヶ浦の記憶がなければ、おそらく『マッピング霞ヶ浦*』が形になることはなかったかもしれません。このお子さんたちもやがて大人になり、あるいは家庭を持った時に再び故郷を訪れてその魅力を感じるという展開もあるものと思います。また地域を愛する取り組みや自然環境保全の取り組みなどが行われていることもこれまでの時代とは違う、地域への回帰の時代が訪れるのではないかという期待を抱かせるものです。水郷の風物の中には観光資源として開発されたものもありますが、同時にこの地域の個性として現在に継承された地域文化が残っています。水辺が護岸堤に囲まれてもなお、水郷の情緒が豊かに感じられるのは不思議な感じがします。あと10年、20年と経ったときにどのように変化しているのか、末長く見守っていくことにしましょう。
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