旧中城町の不動院参道は、現在は旧内西町へ通り抜けることができます。昔は、ここに堀筋が横たわって、このような通り抜けはできなかったはずです。水郷土浦の面影は、ここでも想像力を逞しくして想像してみなければ昔の状況が復元できません。裁判所を経て関東銀行本店に抜ける道筋は面白い曲がり方をしています。これが巽郭(たつみくるわ)の道筋です。近世の土浦城下の地図と見比べてみると、この地域の区画が当時の区画を継承して現在に至っていることがわかります。この曲がり方は、おそらく城の堀に転用された川筋に沿ったためにできたものではないかと想像します。関東銀行本店の前には、搦手門(からめてもん)橋がありました。こうやってみると改めて土浦という町は昔から川筋によって構造が決定されてきたのだと思い知らされます。この曲がった道筋は近世の初期に形成され、この沿道に武家屋敷、藩関係の役所があったことが知られています。急に視界が開け、土浦城(亀城公園)が見通せるようになりました。旧中城町とは周囲の雰囲気も一変しました。
|