土浦市川口一丁目・川口モール竣工碑
碑文「川口ショッピングモール竣工に際して」
ここ川口の一角に、かつて雲は湧き、柳は靡き、舟はもやい、藻は水底に立ち揺れていた。
土浦は、江戸時代初期に城下町としてその骨格が形成された。近代に入っては、水運を利用した物資集散の拠点として栄え、おのずから茨城県南の中心都市として存在してきたのである。
私たちは、古きよき土浦を誇りついで懐かしみ、数多い歴史的文化的資産を誇りに思う。しかし浪漫の時は過ぎた。水は汚れ、光は秘せ、市街地には車と騒音が交錯するようになった。隣接する筑波研究学園都市は、成熟への動きをみせ始め、周辺市町村は、首都圏の外延化の波を受けて近代化を急ぎつつある。
私たちは、今まさにこうした土浦市を取り巻く状況を冷静に直視して、わが郷土を矜持と愛着の持てる、そして活力ある都市として再生させなければならない。
昭和五十八年六月から事業施行された高架街路建設事業は、都市基盤整備にかかわる諸施設の中でも特に重要な意義を有し、土浦中心部と科学技術のメッカ筑波研究学園都市とを結ぶ交通体系の強化と、市街地の交通混雑の緩和を図ろうとしている。
川口ショッピングモールは、高架街路建設事業に伴って、旧祇園町地区(川口一丁目地内)の全部と天神通りの一部商店のご理解のもとに、新商店街ザ・モール505の建設を進め、高架街路下を始め、両側通路を含めて魅力ある商業空間を創造しようとするものである。
この計画に当たっては、「水の都」としての土浦の独自性を現代に生かしつつ土浦商業の新しい魅力となるよう水と緑のあしらいなどに最大限の意を用いたものであり、本市の中心市街地全体の活性化に直接間接の大きな波及効果をもらたすことが期待できる。
かえし難き遺憾と輻輳する利害を乗り越えて果敢に近代化に挑戦したものは、やはり土浦人特有のロマンチシズムではなかったろうか。短期間のうちにこの大きな事業が完成できたことをすべての市民に感謝し、”二十一世紀に向けて力強く羽ばたく土浦”をめざして一段の努力を傾注することをここに誓うものである。
昭和六十年三月二日 土浦市長 箱根 宏
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