土浦市中央一丁目・日本生命土浦ビル前
「霞ヶ浦の水運 川口河岸」
桜川や旧桜川(川口川)、田町川を中心に土浦の水運が発達するのは、江戸時代中ごろになってからです。
享保一二年(一七二七)、藩の援助によって川口河岸が整備され、桜川流域や霞ヶ浦沿岸の村々から米穀類や醤油・酒・薪炭(たきぎとすみ)・木材・瓦などが集まり、取引されるようになりました。
これらの物資は約五二里(約二〇〇キロメートル)、一五日の行程で江戸に運ばれ、江戸からは帰り荷として〆粕(大豆油や魚油をしぼった粕)・干鰯(??った鰯を干したもの)などの肥料や塩・小間物・呉服などが土浦に入ってきました。
船問屋が軒をならべ、高瀬舟が行き来する河岸風景は明治のおわりごろまでみることができました。
(注釈)
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