カテゴリ: 常陸風土記の丘と自然・龍神山 タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 霞ヶ浦流域の歴史と史跡 市町村: 石岡市 (登録日: 2007/03/24 更新日: 2011/12/10)
波付岩、龍神山付近2ヶ所、氷河期のもの?『筑波山恋明書』貞亭4年正月(1687年)刊にも波筑岩と記されている。波付岩は石岡市染谷、常陸風土記の丘から少し上の方、標高約66mにあります。古くからこの地方で波付岩と言い伝えられています。『筑波山恋明書』貞亭4年正月(1687年)刊、(大正2年復刻版・筆者蔵)に筑波山関連の名所旧跡で波筑岩とあります。岩石については全くの素人の私ですが横に縞模様が入った巨岩は見事です。 この波付岩から直線で数百メートル離れた龍神山中腹の散策道入口付近にもこのような巨岩が2ヶ所ほどあります。その一ヶ所はさらに高所にあります。以下は石岡市史他、波付岩に関しての資料です。◆波付岩波付岩は、波止石ともいわれる。龍神山の南方の峰つづきにある標高六六・六メートルの岩山である。○明治三十四年に石岡の平野松次郎氏が発行した『石岡繁昌記』には「波止石岡町大字染谷字上石倉に在り高さ二拾三丈験幅凡そ七尺頂上に国常立命を祭る、口碑に日く往古此の辺霞ケ浦の一部にして波濤常に此に激す、石岡町の西方より東に廻る恋瀬川の流域即ち其遺跡なりと今其地形を察するに蓋し信なるが如し。」と書かれている。○昭和三十一年に石岡の今泉義文氏が発行した石岡史蹟保存会会報(伝説十)には「曽ては、この岩肌に貝殻が付着していたのであるが、今はその痕跡すら止め得ぬことは、惜んでも及ばぬ残念なことではある」と記されている。○昭和四年、六十二才であった長谷川愛石氏も、その著『石器時代の志筑村』において、「大字粟田の台地は南面せる傾斜地にて、而も太古は激浪怒濤澎湃として現在畑中の巨巌にまで打寄せたりと伝へ今に波付岩の名を留む」と記している。 【石岡市史上巻】○石岡郷土誌第6号昭和59年6月(石岡郷土史研究会)では堀越徹氏が『染谷のこと その1』波付岩の貝のことの中で高さから想定してリス=ヴェルム氷期(15万年〜6万年前)のものではないかとされている。【石岡郷土誌第6号】