一体どの辺りを通っているのか見当がつきませんが、跨線橋が場所の確実な目印となるようです。私の土地理解に間違いがなければ、この辺は香取市(旧佐原市)篠原です。眼前の施設は香取市(旧佐原市)の浄化センターではないかと思います。地図を見ると篠原本田と書かれています。篠原新田は利根川の北側、十六島と陸続きの水郷地帯の一画にあります。篠原の本田と新田、この辺にも歴史的な背景があることは確かです。『水郷十六島の農民・下』に篠原新田に関する記述がありました。以下、その『佐原市史』の引用文です(ですので、これは孫引きです)。 「津ノ宮・篠原・佐原など根郷三ヶ村は、早くから沖の島南部を流作場秣刈場として利用していた。(略)十六島新田側は、根郷三ヶ村既存の流作場面積の二倍に及ぶ砂洲をふくむ水域を分割せざるを得なかった。万治元年(一六五八)さらに根郷新田と十六嶋新田との境界が、新嶋の砂洲水面にわたって詳細に決定された。(略)新洲が出現すれば、すなわち地代金を改めて上納せずに、ただちに村請新田に開発できるのである。その際三ヶ村は村高に比例して新洲を分割した。」 (箕輪徳二郎著『水郷十六島の農民・下』、筑波書林、1980年、pp.70-71) なるほど、十六島(新嶋)に対し、佐原・篠原・津宮を根郷三ヶ村と呼んでいたのですね。地図で見ると篠原本田は狭く、集落はまばらですが、篠原本田の多くが、17世紀、新田に移り住んだのでしょうか。現在も利根川以北の新田の方が広く、集落も大きいようです。
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