阿見町島津のR125は真っ直ぐに延びています。湖岸沿いには延々と田圃が連なっているだけの風景で、バス停だけが場所を確認できる目印になっています。長浜バス停を過ぎた辺りが阿見町の外れになります。ところで、この辺は、旧舟島村(竹来、掛馬、島津、舟子の一部)の区域になります。旧舟島村には零細地主が多く、戦後の農地解放で解放された地主の保有地は、一人平均一町七畝に過ぎなかったと言います。湖岸低地は三年に一度は水害に見舞われる状況にあり、林野の開墾、旧軍用地の解放といったことが重なって、地主側と農民組合の対立が続き、深い傷跡を残したと言います(「茨城県史 市町村編III」、茨城県、1981年、pp.517-521)。大地主が存在せず、小地主が数多く存在していたことが、この地域の成り立ちを偲ばせています。
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