この辺一帯は、かつては霞ヶ浦に浮かぶ島・浮島と陸地の間の湖でしたが、1960〜66年にかけて干拓が行われ、現在では陸続きとなりました。霞ヶ浦流域では至る所で干拓が行われましたが、ここ西の洲は、最後の大きな干拓地です。湖岸への公園造成などのために小規模に埋め立てられることはあっても、農地として干拓が行われたのは西の洲が最後になります。西の洲干拓は、干拓地であるために、低地の湿田地帯となっていました。現在では霞ヶ浦浄化のために行われている底泥浚渫の土砂を用いて、土地改良が図られています。底泥は、一度、この場所に陸揚されて干され、干された土砂が農地改良のために使われます。湿田を土盛りすることにより、高低差があった田圃の地盤の高さを均一にし、水陸両用の農業も可能になるという効果があることから、地元農家の同意の下に、浚渫工事と並行して大規模圃(ほ)場整備が進められることになったと言います。(参考文献:「泥沼しゅんせつで水質浄化 世界に誇る最新技術を採用」、『霞ヶ浦、21世紀へ 世界湖沼会議の記録』、pp.326-332、常陽新聞社)
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