浮島のこの湖岸線(北岸)には湖棚が西の洲岬から和田岬にかけて延々と広がっており、魚が豊富な流域として知られています。かつては、出島(現在のかすみがうら市(旧霞ヶ浦町))や行方の漁師たちが、ここ浮島にやってきて、州引き漁が行われていたようです。「わしらが州引きん時に世話んなった嘉代さんの家つうのは、魚の問屋だが、浮島の和田岬の鼻から三百メートルぐらいの所にたった一軒、ぽつんと立ってたんだ。前は砂浜で後ろは茅の原と松林だな。(略)浮島でやった漁というのは、『州引き漁』つうやつだ。これは砂州に産卵に来るしらすを帆引き網で捕る漁だ。(略)浮島の州は三キロ以上も続いて、漁もあったから、州引きといえば浮島がいちばん発達したんだな。」(桜井隆雅・談「第4話 苫舟の暮らし」、佐賀純一編『霞ヶ浦風土記』、pp. 123-139、常陽新聞社)
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