新利根川は、寛文2〜6(1662〜1666)年、利根川の本流とすべく開墾されたものの、沿岸の水害がひどいため、寛文9(1669)年、廃川にし、本流は現在の利根川に戻されたという記録が残っています。(『明治以前 日本土木史』(土木学会著、岩波書店、1936年、pp.47-48)この河口付近の川幅の広さに、その当時の利根川の新本流としての面影を偲ぶことができます。新利根川の最上流がぷっつりと途絶えているのにはそうした歴史的背景があったわけですね。新利根川は、川と言うよりも巨大な用水路と解釈する方が当たっているでしょう。新利根川河岸の押堀集落周辺は、江戸時代の開墾地(新田)です。
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