富士見塚古墳公園の一角に「高浜入を中心とした前方後円墳の分布」と題した地図があります。「これは古代図です」という注釈があります。昔、この地図を撮影した時は綺麗だったのですが、何年も経つと塗装が剥げてくるようです(→「古代の興味深い地図」1996/08撮影)。今回、この地図を画像で確認できるようになったので、よく見てみました。古代とは言っても、おそらく古墳時代の地図でしょうから、霞ヶ浦*についての最古の記録『常陸国風土記』よりも古い年代になります。霞ヶ浦*(当時は入り海だった流海(ながれうみ))の流域の名称(佐賀流海、信太流海、…)には、『常陸国風土記』のものが記されています。当時の霞ヶ浦*流域が太平洋の入り海で、複雑なジグザグ状の入り江を成したリアス式の湖岸線(海岸線と言うべきか?)であったことがわかります。現在も各地に数多く残る谷津が当時の入り江になっていたのでしょう。他の文献と比べると、この地図ではかなり奥深く(筑波山の麓など)までが流域として描かれています。また、太子古墳とこの富士見塚古墳がかすみがうら市坂の辺りにポインティングされていますが、これは何かの間違いでしょう。地図の信憑性はともかくとして、古代の霞ヶ浦*に対する想像がかき立てられます。
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