玉造が町になったのは、1889年(明治22年)の市制町村制施行の時ですから、古い町の歴史があります。1955年(昭和30年)の町村合併前の行方市(旧玉造町)は、旧水戸藩の玉造村の領域です。大字としては領域が広く、東側は隣の行方市(旧北浦町)小貫と接しています。住居表示上は玉造甲、玉造乙と分かれています。甲・乙・柄…と大字内を区分する方式は、潮来市延方と似ています。玉造甲のうち、行方市(旧玉造町)役場から玉造郵便局周辺にかけての沿道がその行方市(旧玉造町)の中心部になります。昔の幹線道路が現在のR355に代わってから、車はR355を通り抜けるようになったので、この通りの交通量はかなり少なくなりました。郵便局の前で道筋はカーブを描き、霞ヶ浦湖岸の浜(旧立花村浜)の集落へ続いています。こうした道筋も町の成り立ちを示しています。
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