麻生小学校の周囲を一周しました。小中学校は数々あれど、学校の周囲が道路で囲まれた学校はたいへんめずらしいのではないでしょうか。この学校の敷地は、麻生藩の陣屋跡になっています。おそらく、この道路がその陣屋跡の外縁になるのでしょう。この一角に、麻生藩家老屋敷記念館があります。時間があれば立ち寄ってみたいと思っていましたが、この時はその前を通過するだけにとどめました。1857年(安政4年)に再建された畑家の武家屋敷と伝えられています。『茨城県史』に麻生藩陣屋に関する記述があるので引用してみましょう。 「もともと麻生藩には『郷足軽』の制があった。小藩の軍事力強化のために配備されたものであるが、異国船対策のために幕末期に至って強化され、それが藩軍備の基礎をなしていた。本来の武士身分の藩士が一〇〇人足らずであったのに対し、二〇〇人以上におよんでいたが、そのなかから五〇人を選んで『譜代』とし、陣屋に定詰めさせて禄を与え、残りは必要に応じて徴用し、その勤務日数に応じて扶持米を給与する『非常勤』の武家とした。」 (『茨城県史・市町村編III』、茨城県史編さん市町村部会、1981年、p. 335)
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