霞ヶ浦・水郷エリアをめぐるうち、次第に魅せられてきた地域の一つが水郷です。どの辺りまでを「水郷」と呼ぶかは人によっても違いますが、狭義には潮来・佐原(利根川以北)辺りとするのが適切でしょう。この日は、茨城県行方郡(行方市(旧玉造町)→行方市(旧麻生町)→牛堀町→潮来町)を霞ヶ浦沿いに南東方向へ進みました(現在、牛堀町と潮来町は合併して潮来市)。この映像シーケンスは相当に長いので、あらかじめ前半部(行方をめぐる)と後半部(潮来をめぐる)に分けて構成することにしました。まずは、後半部の後半から先に採録します。「水郷」という呼称は、観光開発によって広く認知されました。水郷は、かつて湖の流域だったところが次第に陸地化され、人為的に形作られた土地という特性があります。潮来は、観光地・潮来、水に囲まれた土地・潮来という二つの顔を持っています。 潮来はまた、日本が農業社会から工業社会へ、そして脱工業化社会へと進展する中、延方干拓、浪逆干拓に代表される干拓地が、次第に農地としての役割だけでなく、鹿島臨海工業地帯のベッドタウンとしての役割を担うようにもなってきました。今回の潮来ルートは、歴史ある観光地としての潮来と、ベッドタウンとしての潮来という二つの視点からめぐってみました。この日のルートでは、潮来の中心部から延方干拓、浪逆干拓(かつての内浪逆浦の流域、現在は潮来市日の出一〜八丁目)、潮来十番までをめぐりましたが、DVカメラのバッテリーが途中でなくなったため、映像は内浪逆浦干拓の少し手前までで終わっています。撮影できなかった地域は、また機会を改めて探訪することにしましょう。
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