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「〔98/08〕潮来路」について


分類: 〔98/08〕潮来路 地域: 潮来市
(登録日: 1998/10/12 更新日: 2024/09/12)

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撮影日: 1998/08/16 潮来市潮来


興味尽きない水郷・潮来


霞ヶ浦・水郷エリアをめぐるうち、次第に魅せられてきた地域の一つが水郷です。どの辺りまでを「水郷」と呼ぶかは人によっても違いますが、狭義には潮来・佐原(利根川以北)辺りとするのが適切でしょう。この日は、茨城県行方郡(行方市(旧玉造町)→行方市(旧麻生町)→牛堀町→潮来町)を霞ヶ浦沿いに南東方向へ進みました(現在、牛堀町と潮来町は合併して潮来市)。この映像シーケンスは相当に長いので、あらかじめ前半部(行方をめぐる)と後半部(潮来をめぐる)に分けて構成することにしました。まずは、後半部の後半から先に採録します。

「水郷」という呼称は、観光開発によって広く認知されました。水郷は、かつて湖の流域だったところが次第に陸地化され、人為的に形作られた土地という特性があります。潮来は、観光地・潮来、水に囲まれた土地・潮来という二つの顔を持っています。

潮来はまた、日本が農業社会から工業社会へ、そして脱工業化社会へと進展する中、延方干拓、浪逆干拓に代表される干拓地が、次第に農地としての役割だけでなく、鹿島臨海工業地帯のベッドタウンとしての役割を担うようにもなってきました。今回の潮来ルートは、歴史ある観光地としての潮来と、ベッドタウンとしての潮来という二つの視点からめぐってみました。この日のルートでは、潮来の中心部から延方干拓、浪逆干拓(かつての内浪逆浦の流域、現在は潮来市日の出一〜八丁目)、潮来十番までをめぐりましたが、DVカメラのバッテリーが途中でなくなったため、映像は内浪逆浦干拓の少し手前までで終わっています。撮影できなかった地域は、また機会を改めて探訪することにしましょう。
 

潮来の歴史的由緒


潮来の中心部を訪れてみると、意外に古い歴史を感じさせるものが点々と残っています。稲荷山、長勝寺などの寺社、町中に点々と残る古い屋敷などです。これらの歴史的景観から潮来の歴史を感じてみよう、というのが、今回の潮来探訪の狙いの一つです。
 

水郷潮来の歴史的背景


水郷の干拓地は、1590年から約50年間の間に開発されたかつての十六島が有名です。近世には、十六島は天領、潮来は水戸藩領、また、十六島は下総国、潮来は常陸国でした。豊かに存在する水が、この水郷の境界線ともなり、そのあいまいな境界線はいつしか茨城県、千葉県の県境として確定し、今日に至っています。十六島の広大さに比べると、潮来は相対的に狭く感じられます。今も昔も地域的なつながりは、香取市(旧佐原市)側よりは鹿嶋市側に対して強く、かつては鹿島神宮の存在が、現在では鹿島臨海工業地帯の存在が、そのつながりの理由となっています。
 

前川の景観に着目


水郷潮来の魅力の一つは、水辺景観の美しさにあります。その景観を確認するため、前川をめぐる形で前川あやめ園→延方干拓のルートを選びました。「前川」、私の名字と同じ名前のこの河川が、潮来の観光資源の一つともなっています。前川十二橋めぐりもできますが、今回は、車旅なので、河川沿線から迫ってみました。
 
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