外浪逆浦(そとなさかうら)の入り江であった内浪逆浦は、1941〜50年(昭和16〜25年)に干拓されて陸地となりました。日中戦争の長期化を背景に食糧増産を目的として干拓されたと言います。干拓完工後、入植者を募り、40数戸がここに入植しました。 (『茨城県史・市町村編III』、茨城県史編さん市町村部会、pp.396-400)内浪逆浦干拓は、その後、農地の役割を終え、現在は住宅地に様変わりしました。内浪逆浦跡は住居表示では潮来市日の出一〜八丁目となり、地図でもその湖の形状をはっきりと確認することができます。水郷トンボ公園の西側と潮来十番に挟まれた日の出一丁目の外浪逆浦湖岸が内浪逆浦の口に当たります。このシーケンスにも捉えた舟溜のすぐ西側に内浪逆浦が広がっていたわけです。残念ながら、DVカメラのバッテリー切れのため、映像はこれでおしまいです。この後、日の出のよく整備された住宅地を通過して、かすみがうら市(旧霞ヶ浦町)の実家へ戻りました。
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