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「龍神山」風土記の面影


分類: 〔99/08〕石岡・龍神紀行 地域: 石岡市
(登録日: 1999/12/06 更新日: 2024/09/12)

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『常陸国風土記』と地域の連想記憶


常陸国の国府が置かれた現在の石岡は、この地域の古代の風物が記された貴重な記録『常陸国風土記』の発祥地です。

「そもそも常陸の国は、面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにもゆたかである。」(『常陸国風土記』、『風土記』、吉野裕訳、平凡社、1969年、p.4)

『マッピング霞ヶ浦*』を始めて以来、1,200年以上もの昔の奈良時代に編纂された郷土の記録『常陸国風土記』にはこの地域の発見にさまざまなインスピレーションを得てきました。この風土記のイメージを最も彷佛とさせてくれるのが、石岡市の龍神山です。現在、龍神山麓には「常陸風土記の丘」が創設され、古代の生活を体験できる地ともなりました。それは別としても、石岡→古代の国府→風土記→龍神山と連想されてくるのは、龍神山が持つ神話的な雰囲気をたたえた山の姿に理由があるのではないかと思います。神霊が宿ったかのような龍神山は砕石によって山容が不様に変容してしまいましたが、それでもなお古代のイメージを現在に残しています。言い伝えによると、この山麓の近くにまで、かつての流海(ながれうみ、現在の霞ヶ浦)の流域が迫っていたといいます。この点も、『マッピング霞ヶ浦*』の霞ヶ浦*との接点を再確認させてくれるものです。
 


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撮影日: 1999/08/14 石岡市染谷(龍神山の岩肌)


「龍神山」のいわれ


現在の石岡市と石岡市(旧八郷町)の境界に立つ龍神山は、龍神を祭る山岳信仰の山として知られています。古来は村上山と呼ばれ、今でも残る龍神山麓の村上(石岡市村上)という地名は、一説には国府より上にある村ということに由来していると言います。龍神山には、さまざまな伝説が生まれ、今日まで伝えられています。
 

『常陸国風土記』に記された龍神山


「茨城の里。ここから北に高い丘がある。名を輔時臥の山という。古老がいうことには、『兄と妹との二人がいたが、兄の名は努賀比古、妹の名は努賀比売といった。その当時、妹は屋内にいたら、姓名(素性)も知らぬ人があって、常に来て求婚した。(略)月みちて産むべきときになると、ついに小さな蛇を生んだ。(略)』」
(『常陸国風土記』、『風土記』、吉野裕訳、平凡社、1969年、p.25)

『常陸国風土記』に記された「輔時臥(くれふし)の山」が龍神山であるとの説があります。『常陸国風土記』で「輔時臥の山」が那賀(那珂)郡の風物として記されたのは誤りで、茨城(うばらき)の里とは、茨城郡衙があった現在の石岡市の茨城(ばらき)であるというのがその説です。雄龍と雌龍が祭られた龍神山の佐志能神社の伝説と風土記に記された努賀比古(ぬかびこ)と努賀比売(ぬかびめ)の物語も不思議に符合しています。

このような昔の言説、古代の流海との接点を龍神山周辺に探ってみました。
 

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