常陸国の国府が置かれた現在の石岡は、この地域の古代の風物が記された貴重な記録『常陸国風土記』の発祥地です。「そもそも常陸の国は、面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにもゆたかである。」(『常陸国風土記』、『風土記』、吉野裕訳、平凡社、1969年、p.4) 『マッピング霞ヶ浦*』を始めて以来、1,200年以上もの昔の奈良時代に編纂された郷土の記録『常陸国風土記』にはこの地域の発見にさまざまなインスピレーションを得てきました。この風土記のイメージを最も彷佛とさせてくれるのが、石岡市の龍神山です。現在、龍神山麓には「常陸風土記の丘」が創設され、古代の生活を体験できる地ともなりました。それは別としても、石岡→古代の国府→風土記→龍神山と連想されてくるのは、龍神山が持つ神話的な雰囲気をたたえた山の姿に理由があるのではないかと思います。神霊が宿ったかのような龍神山は砕石によって山容が不様に変容してしまいましたが、それでもなお古代のイメージを現在に残しています。言い伝えによると、この山麓の近くにまで、かつての流海(ながれうみ、現在の霞ヶ浦)の流域が迫っていたといいます。この点も、『マッピング霞ヶ浦*』の霞ヶ浦*との接点を再確認させてくれるものです。
|