私が歩崎を記憶している最も古い時期は小学校の低学年の頃。昭和40年代の初めの頃です。振り返ってみればその頃、歩崎は景勝地としては知られていたものの、全県的に、全国的に知られて多くの人が訪れていたわけではありません。当時はまだ交通手段の限界もあり、陸の孤島であった出島半島の先端部にまで出かけることは簡単ではなかったと思います。
歩崎観音の下が埋め立てられ、湖水浴の着替えをする鉄筋コンクリートの建物ができたのは私が小学生の頃。あの頃は最新の施設でも時代状況の変化には対応できず、その後は使われない建物となって、今に至っています。湖面が大々的に埋め立てられて現在の歩崎公園が整備されたのは、それからだいぶ時間が経過した後のことです。
歩崎観音の境内に上がるのはかつては古来からの石段でしたが、その後、コンクリート造のバイパス路が出来て、歩崎観音への参詣という歴史的・宗教的感興はなくなりました。物理的にはそこに存在していながら、空間構造の変化により、また、時代状況の変化により、感じ取られるものはだいぶ変わってしまうものです。
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