集団就職が盛んだった時代、私はまだ幼少で、記憶にすら残っていません。東北地方からの金の卵たちが集団就職で上野駅に降り立ったことは後から「知識」として知ることになります。
そうした歴史的記憶はさておき、私自身は東京へアクセスする際、必ず上野駅を経由しました。また、長い間、東京暮らしをしていた期間も必ず日暮里駅を経由して茨城の実家に帰省していました。
そうした幼少期からの上野駅の記憶の中で記憶に刻まれたのが、山手線、京浜東北線(1〜4番線)のホーム下の位置にある通路の天井の低さ。よほど背丈の低い人でもかがまないでは通行できないほど天井が低い。この異様な風景は子ども心にも「記憶」の中に刻み込まれています。
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