霞ヶ浦*の成り立ちには大きく二つの背景があります。
一つは海跡湖であること。入海であった「流海(ながれうみ)」は長らく存在していました。現在の利根川河口域は一面が海であったわけです。そのような視点から利根川河口域の低地を眺めてみたい。これと関連し、ちょっと面白い話があります。それが「金色姫伝説」です。蚕の化身・金色姫が我が国に上陸したのが日川(現在の神栖市日川の辺り)とされています。黄金姫が水域をさらに奥に進んで結城地方に行ったという話です。
もう一つは利根川東遷です。現在の利根川河口域は、利根川の本川が付け替えられた400年ほど前に新たな利根川となりました。つまりこの河口は人為的に作られたわけです。現在、霞ヶ浦*は大きくは利根川水系に属し、常陸川水門で隔てられつつ利根川と連結しています。明治時代の地図を見ると利根川本川は現在の利根川ではなく、外浪逆浦〜常陸川の川筋でした。従って、神栖の前を通る常陸利根川は明治期には利根川の本川だったわけです。人為的に川筋がその後も付け替えられた結果としての現在の河川を変容の後の姿として捉える視点を持っておきたい。
以上2つの視点を持って利根川河口域をめぐってみました。
|