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「〔20/01〕常磐線沿線と新国立詣」について


分類: 〔20/01〕常磐線沿線と新国立詣 地域: 茨城県南
(登録日: 2020/01/03 更新日: 2024/09/12)

常磐線と霞ヶ浦


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撮影日: 2020/01/01 ひたち野うしく駅の周辺



常磐線の主要区間が開業したのが1896年(明治29年)です。常磐炭坑の石炭などを運ぶ輸送路として、また東北本線の代替路として敷設され、茨城県の交通の中枢をなしてきました。

戦後の高度経済成長期、バブル期には、常磐線沿線が東京のベッドタウンとしてベッドタウンエリアはドーナツ状に北へ北へと拡大し、千葉県から利根川を越えて取手へ、さらに龍ケ崎、牛久へと拡大し続けました。

常磐線の主要駅の一つである土浦駅は、上野〜水戸間の中心的な駅として、また、東京方面との間の通勤快速の起点駅としての位置にあります。

そうした変遷も意識しながら東京と茨城を結ぶメインルートでもある常磐線を「地域の周辺」として捉えてみます。
 

常磐線沿線の記憶と変遷


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撮影日: 2020/01/01 常磐線の車窓から眺める地域の状況



今回の企画のお題は「常磐線沿線」です。前回、JR常磐線に乗ったのは2年前の2月です。その前はいつだったろう? …と思うと、さっと思い浮かびません。水戸、松戸で学会があった時に常磐線に乗ったことは思い出しました。しかし私の記憶の中になる常磐線は、幼児期から現在に至るまで人生のサイクルと結びついた乗車体験です。それは単なる乗車の記憶ではなく、私自身がこの地域をどのように認識し、知識化=記憶化したかというプロセスそのものです。さらには乗車体験を積み重ねることにより、その時々の社会状況の変遷を記憶することとなり、その記憶の連なりが、「心象・記憶としての常磐線」「この地域における常磐線の変遷」、というものとなっています。

そう言えばそのような切り口から『マッピング霞ヶ浦*』で常磐線について触れたことはなかったなあ、と気づき、常磐線に乗って新国立競技場へ天皇杯サッカー決勝の観戦に向かうついでに、「常磐線沿線」を綴ってみようと思い立ちました。
 

新国立競技場詣2020


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撮影日: 2020/01/01 こけら落としの新国立競技場



国立競技場が2019年末に完成し、この日2020年元日の天皇杯サッカー決勝戦が新国立競技場のこけら落としとなりました。その観戦に新国立競技場に赴きました。

東京の霞ヶ丘にある国立競技場は、サッカー好きはサッカーの聖地という言い方すらしています。日本代表戦をはじめ、天皇杯決勝も歴史的に国立競技場で開催され、数多くの試合が行われてきました。茨城のJリーグチームでもある鹿島アントラーズが天皇杯で優勝したのもまさに国立競技場においてです。また、2002FIFAワールドカップでカシマサッカースタジアムが会場の一つとなり、観客席の拡張工事が行われていた2000年頃のホーム戦は国立競技場で行われていました。

そんな記憶が重なってきます。そうしたことに思いをいたしながら、茨城から国立競技場を訪れることを「新国立詣」と呼ぶこととし、その意味あいなり、距離感を再確認してみたいと思います。
 
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