小学校時代の私の同級生たちが間もなく閉校する母校の安飾小学校で過ぎ去った数十年の記憶の風景を眺めています。さりげなく撮った写真がこの上なく大切な記憶となりました。
母校の安飾小学校が閉校したのは2016/03/31のこと。閉校になる前年の2015年11月、小学校の同級生たちと久しぶりの同窓会の前に母校の安飾小学校を訪れました。小学校に入学したのは1966年、卒業したのは1972年。卒業してから43年になります。
この日は安食の自宅から歩いて小学校へ。その足跡を「映像クリップ」に綴っておきました。小学生時代の通学路を歩くのは卒業して以来初めてかもしれません。ネットで調べてみると家から校門までの物理的距離は430メートルほど。歩いて5分程度の距離です。家によっては数キロメートル離れた岩坪や柏崎から通っていた同級生に比べるとぐっと近い位置にあります。
2016年4月、安飾小学校はかすみがうら市の佐賀小学校、志士庫小学校と統合して霞ヶ浦北小学校に移行しました。同時に霞ヶ浦北中学校は閉校になり、霞ヶ浦南中学校と統合し霞ヶ浦中学校となりました。霞ヶ浦北小学校は閉校になった旧霞ヶ浦北中学校に移転しました。
ふり返ってみれば、私の母校、安飾小学校は、安飾村時代は安飾中学校でした。出島6村が1955年に合併して出島村となり、旧安飾中学校が安飾小学校に転用されました。旧安飾小学校は安食の太宮神社の前にあり、移転後、後者の一部ははしばらく安飾地区公民館として使われ、1966年、出島村立第二保育所が跡地の一部に新設されました。第二保育所は現在は改修されて安飾地区公民館となっています。
母校が閉校になる寂しさはありますが、その前後の歴史を見れば、歴史的に学校は変遷し続けており、私もそうした歴史の一期間に身を置いていたということになります。
現在も残る安飾小学校の校舎は私が小学校6年生の時に建設され、卒業式はまだ完成していない新校舎で行われました。校庭のジャングルジムや雲梯などは小学生だった頃のまま。体育館とプールは卒業後に新設されたものです。
この母校訪問からさらに早くも8年が経過しました。記録だけが唯一見えるものとなって残っています。
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