古代の街道筋の要所には、駅家(うまや)が置かれていたことが知られています。潮来(板来=いたく)の駅家もその一つです。長勝寺の本堂の裏手の片隅に「潮来の駅家跡」の立て札があったので、駅屋跡をたまたま見つけましたが、それらしき跡もモニュメントもないので、何の実感も伴いませんでした。潮来町郷土史研究会による立て札でしたが、できれば町の教育委員会による説明板は欲しいところです。駅家跡と言われても、駅家が何だったのか、なぜこの地点を駅家跡と同定できるのかといった説明がないと誰も理解できないのではないでしょうか。現在の潮来市街は、古代にはおそらく入り海だった流海(ながれうみ)の流域だったのではないかと思われます。稲荷山の麓のこの辺りがおそらく流海の海岸になっていて、この地点が陸路と海路の中継点になっていたのではないかと推察します。
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