手野地先の出島用水は、護岸堤の樋管を挟んで霞ヶ浦と連続していきます。湖岸には豊かな葦原が広がり、樋管から先は水路のようになっています。通水をよくするために、掘割されているのでしょう。船が停泊している様子を見ると、掘割に舟溜の機能を持たせてあるのかもしれません。この掘割を「大津新堀」と呼ぶことは、『空から見た北浦・霞ヶ浦の釣り』(茨城新聞社、1998年)で初めて知りました。釣り人によって名付けられた呼び名ではないかと想像します。「大津」は、土浦入の北西岸に面するこの地域一帯の呼称です。これが新堀だとすると、旧堀は、護岸堤から内側の出島用水を指すのでしょうか。大津新堀の真正面には、土浦入対岸の霞ヶ浦総合公園のオランダ型風車が見えます。この景観は格別のものです。私がお勧めする景観スポットの一つです。この日はあいにくと視界が悪く、風車はぼんやりとしか見えませんでした。もう少し視界のよい日に捉えた風景もありますのでご参照下さい(→「〔97/10〕出島用水の湖岸」)。いつもならよく見えるはずの土浦市街もよく見えませんでした。 さて、かすみがうら市(旧霞ヶ浦町)の大平開拓から出島用水をたどって霞ヶ浦まできたわけですが、この探訪を通じて、霞ヶ浦が周辺の農地に豊かな用水を供給している様、また、この地域社会の歴史を垣間みる思いがしました。ともかく「〔98/08〕出島用水をめぐる」はこれで完結です。
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