潮来町あやめ一丁目
前川あやめ園の由来
古来潮来あやめは唄に乗りあやめ文化を造り一世を風靡した。川沿いに咲く真菰の中のあやめの花は水郷の趣に風情を添えていた。近世あやめ園も造成され、その育成に努めていたが第二次世界大戦により久しく花も忘れられようとしていた。茨城県議会議員藤岡?二郎氏は郷土の花潮来のあやめを残すべく鹿島参宮鉄道株式会社・濱平右衛門氏に諮り、昭和三十年潮来町長となりあやめ園造成を前川沿いに決め、この地に前川あやめ園の第一歩を印したのである。昭和三十一年六月にその竣工を見た。昭和四十年代に入り、「関鉄あやめ園」と人呼ぶようになり町民有志に諮り「関鉄あやめ園協力会」を発足させた。ときに昭和四十二年三月である。昭和四十七年あやめ園規模拡大の機運が高まり、「前川あやめ園」協力会」に改編され、協力会役員一丸と成ってその任に当たり、地主の協力を得て今日のあやめ園の基礎が確立した。以後、町当局によるあやめ園の造成、管理に移り現在に至っている。歴史を捲る時、歴代潮来町長の熱意と潮来町議会並びに観光協会・花菖蒲協会の役員を始めとする町民各位の努力は忘れる事は出来ない。ここに潮来のあやめが現在に伝来され、これから??美しい花が咲き誇っていく事を希いつつ前川あやめ園の由来を残すものである。
平成元年六月
拙文 潮来前川あやめ園協力会長高塚雄三
揮毫 潮来町長 今泉利拓
潮来町
水郷潮来観光協会
前川あやめ園協力会
碑設計 大川靖
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