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泳げる霞ヶ浦

第21回水郷水都全国会議in久留米・柳川

地域: 柳川
(2005/06/12 更新日: 2018/08/27)

柳川掘割物語


2005年6月11日(土)9:30〜12:30 福岡県柳川

第21回水郷水都全国会議、第8回有明海・不知火海フォーラムin久留米・柳川のエクスカーション(柳川掘割下り)に参加しました。

柳川は第5回水郷水都全国会議の開催地。
その時、実行委員として活躍され柳川の掘割を埋め立てから守った広松伝さんは鬼籍に入られました。
ツアーの中には、広松さんの教えに感化されて新潟で活動されている新潟水辺の会のメンバーの方や浜松市会議員さん(前回の開催地)や学者の方11名(本来は30名揃わないとツアーは成立しないはずでしたが、スタッフと観光会社のご好意で実現しました。)

船頭さんの巧みな竿さばきと語りで舟はスルスルと掘割を進みます。水かさが増えているのは、雨が多かったのと田植えがまだ始まっていないから。
掘割の水は、農業用水としても利用されているそうです。
「手を船べりにつけるとケガします。」という注意があったように舟一艘がやっと通れる狭い水路もあって
まさに水郷の趣。家々の庭には色とりどりの花が植えられていたり小舟がつながれていたりと観光客の目を楽しませてくれます。年間100万人、船会社6社、200艘の観光舟が営業しているそうです。

約1時間の掘割下りをした後は、鰻料理で昼食。
柳川といったら柳川鍋(どじょうとごぼうのささがき)という印象が強いがそうではないそうです。
鰻はせいろで、やわらかく大変美味でした。

「前回は、「御花」に泊まった。」とは新潟のメンバー。全国でも珍しい旧お殿様の立花さんが経営されている高級ホテルだそうです。

この後、久留米大学に場所を移してメインテーマ:公共事業”新”時代〜自然とのおりあいを求めて〜の話し合いが行われます。その様子は別にレポートします。
 
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久留米大学での基調講演、他



今回のテーマは、公共事業“新”時代〜自然とのおりあいを求めて〜
久留米大学の全体会議では、記念講演「水俣から いのちのメッセージ」原田正純氏は、公害の原点と言われた「水俣病」は、人間も自然の一部であることを教えてくれた。「差し止めの運動から、再生の運動へ」〜住民の手に地域の決定権を〜馬奈木昭雄氏は、今回の訴訟は官僚の手から住民の手に地域の決定権を取り戻す憲法闘争であり、差し止めた後の再生に向けて住民の結束が試されている。
「川辺川ダムをめぐる闘いの現状と住民決定の時代」板井 優氏は、国と県と住民の折り合いのつけ方を「住民討論集会」「地区別討論会」で実践されています。
そして「佐賀平野における河川伝統技術」−いまに生きる、から川・水受提・遊水地など佐賀藩の流域治水−岸原 信義氏は、江戸時代初期の藩士成富兵庫の「関東流」の治水技術を検証し、その技術が今も脈々と生き続いていることを紹介してくれました。
自然と人がおりあいながら生き抜いてきた佐賀の人達。生活の糧を与えてくれた有明海。
北原白秋を始め多くの文化人を育てた柳川の掘割。そこに戦後地域経済の振興、雇用の確保を名目に大型公共事業が押し寄せる。生活様式の変化に伴い、水辺から離れる住民たち。
諫早湾干拓事業では、漁業権補償をもらって日雇い労働者になった元漁民が「差し止められたら仕事がなくて飯の食い上げだ。」と苦しい胸の内を語っています。
20世紀の負の遺産を「環境」の21世紀では引き算の開発をする必要があります。
自然と人が折り合いをつけながら、また政治家や官僚、業界といった人達ともおりあいをつけなくてはいけないと感じました。
 
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