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泳げる霞ヶ浦

第3回水郷の想い出

カテゴリ: 霞ヶ浦原風景 地域: 美浦村
(2007/02/17 更新日: 2018/08/27)


2007年2月16日(金)午後7時〜9時 美浦村木原「水友園」2F学習室
霞ケ浦市民協会・暮らしのプロジェクト 参加者8名

常陽新聞に掲載された鴻野伸夫氏の「水郷の想い出」をテキストにして、かつての霞ケ浦の暮らしに思いをはせる。

冒頭、6月頃に鴻野氏を講師にして写真が撮影された地域を巡るツアーを行ないますと案内があった。

来月の会合までに日程・行程が決まる。
昭和40年代の干拓以前の農村風景と現在の干拓後の風景の違いを写真を見ながら回る。

写真集はこちら↓
http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/kikaku/chikei/kasumi/garari/kounogarary/gyararikouno.htm
 

人気のあった湖水浴場


鴻野伸夫氏の幼少時代、よく泳いだ湖水浴場は古渡の堂崎の鼻。遠浅で松林があり小学校2,3年までは素っ裸で泳いだそうだ。

国土交通省のMさんが、湖水浴場(浮島)の写真を持ってきて、皆で回し見する。

浮島は東京の避暑地で、夏には水辺に小屋が建ち海外のリゾート地のような景観だった。

また美浦村のMさんは「大山には結核の病院があって教養人が多く文化的だった。」「さざなみ荘という宿泊施設があって小学校の時に泊まりに行った。」

「村の青年会が演芸大会を企画して賑やかだった。」
「霞ケ浦は、濁って目は開けていられなかった。」
「サッパ船の下をもぐる時は、背中が船の底に張り付いて怖かった。」など思い出を語った。
 

話の内容はビデオで見れます

(1件)
01 水郷の想い出3

ランチ(蒸気船)の思い出


当時の交通手段は船だった。
集落ごとに問屋が船を持ち、人と物を運んだ。

美浦村でも矢板丸、村田丸といった個人の船主がいた。
お嫁さんも向こう場(出島村)から船でやってきた。
出島は梨の産地、こっちは米の産地で物の交換も行われた。

水害で農家の人は、朝起きると必ず霞ケ浦を見て「水は大丈夫か」と関心を持った。
今は堤防ができ、霞ケ浦に行く人はいない。
 

水郷の想い出の写真展資料

(1件)
01 水郷の想い出

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