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水郷都市・土浦の面影


分類: 〔99/01〕土浦・水郷都市の面影をたどる 地域: 土浦市
(登録日: 1999/01/25 更新日: 2024/09/12)

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撮影日: 1999/01/16 土浦市・川口川閘門跡


土浦の記憶


土浦は、私には最も馴染み深い町の一つです。幼い頃から親に連れられて行って目にした当時の土浦の風景は原風景となり、その後、土浦の高校に通った3年間、数多くの記憶が心に刻まれました。おそらくこうした記憶がなければ、現在の土浦の風景を見ながら、そこに在りし日の風景を想い描いてみようという興味は生まれなかったと思います。「水の都」と呼ばれた往時の土浦の美しい町の姿は、現在の市街からは想像すべくもありませんが、土浦の思い出を綴った文章や古い幾枚かの風景写真からは、さまざまなインスピレーションを得てきました。私の個人的な土浦の記憶と、目にすることのなかった往時の美しい水郷都市・土浦のイメージとが重なり合ってきます。
 

土浦・いまむかし


高校を卒業して以来、土浦からは久しく遠ざかっていました。常磐線の電車に乗って上野と実家の最寄りの駅、神立駅との間を数多く往復し、また、数少ない機会ながら土浦駅で乗り降りすることはありましたが、その頃の土浦は単なる通過点でしかありませんでした。土浦の町に意識して接したのは、『マッピング霞ヶ浦*』を始めて間もない1997年5月が初めてではなかったかと思います。土浦はこんなに狭く、ごちゃごちゃとした町だったのだろうかという幻滅が、その時最初に感じたものです。また私が知っている頃の昔と比べても寂れてきたという印象は否めませんでした。

ところで、土浦に関する文献は地元の出版社から多数刊行されています。文士が多いというのは、おそらくこの町の文化風土によるものなのでしょう。土浦の古い町並みを保存しようとする市民の活動が行われていることも知っています。こうした情報に接する度、土浦という都市の現実の姿とのギャップがさらに増幅してきました。土浦は何か選択を間違った、というのが、そこであらわれてきた私の問題意識です。川口川の埋め立て、土浦高架道の圧迫感と暗さ、霞ヶ浦湖岸の港町に造成された住宅地、狭くくねったままの町中の道筋、遅きに失した古い町並みの保存、など、全てが後手に回って今に至ったという印象を受けます。元々、霞ヶ浦湖岸の湿地帯、田圃だった軟弱な土地の上にこのように市街を拓いてしまってよかったのだろうかという、いらぬ心配すら抱きます。
 

土浦らしさへの視点


自分の町に対する愛着は、その町に生まれ育った方であれば、誰でも多かれ少なかれ持っているものではないかと思います。では、「土浦らしさ」、「土浦のアイデンティティ」とは何なのだろうか、と問うてみると、それは何なのでしょう。人によって答えは違うかもしれませんが、私には「水と都市」という視点が浮かび上がってきます。川口川が埋め立てられた後の土浦しか知らない私の世代には、もはや「土浦らしさ」の記憶はないことに気づかされます。ただ、昔の痕跡は至るところに残っています。現在の風景を見て、そこに昔の風景を想い浮かべてみると、何かが見えてくるのではないだろうか。これが、「土浦・水郷都市の面影をたどる」を企画した目的です。
 
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