土浦市湖北(一・二丁目)は新川、境川の河口域に挟まれた小さな一角にあり、その半分近いスペースを霞ヶ浦浄化センターが占有しています。土浦の市街が周囲に拡大した後も、霞ヶ浦湖岸への市街の拡大は遅々としていました。湖岸の地盤の軟弱さにその一因があったものと思います。『航空写真集 茨城県』(1983年、茨城新聞社)の「土浦市」(pp.172-173、1982-1983年撮影)を見ると、1980年代初頭の湖北は区画の造成が終わって間もなく、建物もまばらにしか建っていなかったことがわかります。常磐線を跨ぐ真鍋跨線橋(土浦協同病院前の高架橋)も工事中でした。高校卒業後、私が土浦を訪れるようになったのは、『マッピング霞ヶ浦*』を始めて間もない97/05以降のことなので、それまでの間、記憶のない長い期間が存在しています。「湖北」という町名も私には目新しいものでした。97/10にここを訪れた時に、土浦市街が湖北にまで拡大したことを知りました。浄化センターのような施設はともかく、大きなマンションまで建っていたのには驚きました。軟弱な地盤でも問題はないのでしょうか。 ところで、土浦駅東口前を経由して湖北の霞ヶ浦浄化センターへ通じる道路は、浄化センター前で行き止まりになっていましたが、この道筋がR354へと延長されて湖北はアクセスがしやすくなりました。この道筋の開通に合わせて、この沿道に市場がオープンしました。鮮魚市場、青果市場などが棟続きになっています。土浦近郊からここへ買い物に来る人も多いようです。
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