現在の大字レベルの地域は、1871年(明治4年)廃藩置県の時の村にほぼ対応しています。市町村によっては、当時の村とはだいぶ名前の変わったところもあります。廃藩置県から、1889年(明治22年)の市制町村制施行によって市町村が確定するまでの間、何度かの再編が行われましたが、これらの変遷については極めて煩雑な上、今日では意味のない情報のため、省略しました。これらの市町村分合を見ると、今日の各地域が近世以前の構造を継承しながら、現在の市町村に再編されてきたことがよくわかります。地域理解を深める上で、前々から整理しておきたかった情報の一つが、市町村分合情報です。幸い、『茨城県史 市町村編』に「市町村分合表」が掲載されていましたので、これを引用させていただきました。『茨城県史』は、本という紙媒体の物理的な制約から、参照しにくいことに加え、時系列的な変化を一瞥しにくいと感じていました。細かな点(地域の一部が別の市町村に併合されたとか)は、原書をご参照いただくことをお勧めします。本当は、地図で場所を示すことができるといいのですが、地図作成は手間がかかるので、地図なしということでご勘弁いただきましょう。この分合データは、『マッピング霞ヶ浦*』に追加する「地域ナビゲータ」(仮称、公開時期未定)の入力データともなる予定です。
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