劇作家・高田保(1895-1952)は、土浦が生んだ代表的な文士の一人です。土浦の市内を歩くと、ところどころで高田保と縁のあるなにがしかのものを発見します。土浦・霞ヶ浦と関連のある地元刊行の本を読んでいると、やはりこの高田保の話題に出会います。『霞ヶ浦風土記』(佐賀純一著、常陽新聞社、1995年)の「第11話 蒸気宿と高田保」(桑原節さんへの聞き書き、pp.255-267)には、無名の書生だった頃の高田保が、美浦村木原の川岸屋に長逗留した時の思い出が記されています。この思い出話では、酒が樽で土浦の中城の矢口酒店から子伝馬船でこの宿に運ばれていた、といったことが語られています。桜橋から川口川、霞ヶ浦を経て、木原に当時まだ残っていたエンマ(水路)を通って酒樽が運ばれたのでしょう。ここにも「〔99/01〕土浦・水郷都市の面影をたどる」の隠しテーマ、大正年間の舟運があらわれています。
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