土浦市川口一丁目・高田保顕彰碑
高田保顕彰碑・裏面の碑文
不朽の名著といわれる随筆「ブラリひょうたん」を、高田保は、もう随筆しか書けない状態の病床で、服務百回の予定が、好評のため五百二十八回まで新聞紙上に書き続け、ついに没した。
明治二十八年三月二十七日、土浦小学校前に生まれ、土浦中学(現土浦一高)、早稲田大学を卒業後、東京に出て、戯曲・小説・随筆・脚本・演出等に活躍して、才人の名をほしいままにした。戦中大磯町に移り、そこに十年住み、町民に敬愛されて、没後、高田保公園及び文学碑を贈られた。
土浦を第二の故郷とする高田保の生誕百年を記念し、ここに市民の手によって顕彰碑が建立された。
高田保顕彰碑建立実行委員会会長
「土浦文学」会長
榊原 勝
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