同じ狭い境内の中に同居する不動院と琴平神社は、土浦城下の町の中心でもあった旧中城町のモニュメンタルな場所の一つになるでしょう。中城の琴平神社と不動院については、保立俊一さんの魅力的な回想録によってさらに興味を増しました(保立俊一著『水郷つちうら回想』の「中城琴平神社」「こども達と琴平様の神主」、筑波書林、1994年、pp.120-123)。この狭い境内に土浦の歴史が詰まっているというのは決して大げさな表現ではありません。不動院には、この土地が「土浦」と呼ばれるようになった最古の時代(15世紀)に創建されました。不動院境内の琴平神社は、神仏混淆の不思議な民間信仰の中で生まれ、現在に残っています。沼尻墨僊の寺子屋もかつてここに存在していました。退筆塚は、墨僊の七回忌の1862年(文久2年)、中城町の伊勢屋庄三郎らが師匠の学徳を偲んで建てたものと伝えられています(『茨城県史・近世編』、茨城県史編集委員会、1985年、pp.648-649)。この他にも旧中城町の由来を記した碑があり、桜橋から移設された遺構の一部が狭い参道の片隅に置かれています。このように、不動院境内は土浦の歴史的な記憶を現在に留めています。
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