土浦市中央一丁目・不動院参道にある説明板
沼尻墨僊の寺子屋跡
江戸時代後期、この地に沼尻墨僊(一七七五〜一八五六〔安永四〜安政三〕)の開いた寺子屋があった。
墨僊は号で、名を一貞、常治と称した。土浦藩士の太田留蔵・広瀬克斎に師事し、沼尻修平(陸其章)に筆法を学んだ。多芸多才で天文学・地理学に業績をあげ、物理学・土木技術に通じ、漢詩・書道・絵画にもすぐれていた。
享和三年(一八〇三)ここ土浦中城町(現中央一丁目)琴平神社境内に寺子屋を開いた。寺子屋ははじめ「時習斎」と称したが、のちに「天章堂」と名を改めた。
墨僊は温厚・誠実な人柄で、指定を懇切丁寧に教えた。そのため遠近から墨僊を慕って入門するものが多く、県南地方最大の寺子屋となった。
墨僊の没後、寺子屋は子の墨潭(??、のち中條氏と改姓)に受けつがれて明治四年(一八七一)まで続いた。
昭和五九年一月?
土浦市教育委員会
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