牛渡の鹿島神社とへいさんぼう・映画『米』にも出演2006/04
鹿島神社・かすみがうら市牛渡字貝塚・・・
祭神・武甕槌命
祭祀・例祭5月5日(大正年間は旧5月5日) へいさんぼうの神事 この神事の始めは平左とその女房の二人が田植え行事を面白おかしく演出したことから、平左女房約まってへいさんぼうとなった。この神事に私用する飯台の裏に宝暦九・・・とあり、享保年中社殿その他一切焼失・・・飯台はこの神事継続のため新調した・・・ 社伝によると大同年間の創建。本鹿島へ勅使下向の時は当社へも御船寄せ御参向御休息と云う。勅使御乗船に御召牛後を慕いてついに霞ヶ浦湖中に溺死す、里人哀れみて当村西端に牛を厚く葬り牛塚を築く、村名の起因なり。本社東方一丁余りに勅使の宮、また西方四丁余りに勅使の塚存す。右大将室定郷歌に「馬耳(真美)山のよどみながれの牛渡り、古き昔は鹿岡の原」と。天慶の乱にあい、平将門のため神領没収された。天喜五年源義家奥羽追討の際、本社に祈願し神領寄付あり、公詠「武士の弓張月の影高く、霞もなびく夜半の神風」と。その後、元弘以来の兵乱に神領は侵犯される。小田氏応永二一年神領寄進、守治公の時佐竹義宣のため滅ぼされまた、神領も没収された。元亀三年造営あり、(中略) 昭和32年3月弘化された東映「米」に紹介された。 【茨城県神社誌】
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