土浦一高(旧制土浦中学)のある場所は、昔から真鍋台と呼ばれてきました。土浦市内には低地が広がり、この坂を上ったところ、真鍋台に土浦一高があります。ここは、かつての陸前浜街道の街道筋になります。土浦市内には、旧家が今でも点在していますが、この一角は古い町並みがそのまま残りました。ご覧のとおり、道は狭く、一方通行になっています。『土浦市史』によると、旧土浦中学校の前身、旧茨城県尋常中学校土浦分校の敷地を土浦市内の立田(当時は新治郡土浦町)にするか、真鍋台(当時は新治郡真鍋町)にするかで二転三転したといいます。「真鍋台ヲ以テスレバ、市街俗塵ヲ離レ四辺閑静風俗ヲ壊乱スベキ事物ナク、土地高燥空気清潔ニシテ衛生健康ヲ保ツニ利アリ」これは、県会に計られた真鍋台案の建議書の引用です(『土浦市史』pp.814-815)。真鍋台が勉学に勤しむのに適した環境であるというのが真鍋台案の主張でしたが、結局、敷地は立田となり、真鍋台に学校の建設が始まったのは、1904年になってからのことでした。
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