1960年代まで水泳ができた霞ヶ浦は、1970年代に入ってから汚染がひどくなり、1970〜80年代の霞ヶ浦湖岸は近寄るのもためらわれるほどにアオコの異臭が鼻を突く状況へと一転しました。まるでペンキを過剰投棄したかのように水面が青緑色に染まり、ペンキのごときアオコがベタッ、ベタッと堤防に打ち寄せ、湖の回生が不可能ではないかと思われるぐらいにひどい状況が続きました。1990年代に入り、アオコの発生は減りましたが、今年1997年5月の湖は、かつての状況を思わせるような異臭が甦り、至るところに死んだ魚が浮かんでいます。アオコは植物性プランクトン、ミクロキスティスが集まった青緑色のペンキのごとき状態です。霞ヶ浦では、アオコの栄養源となる窒素やリンが多くなり、富栄養化の状況が発生していると指摘されています。茨城県では、1982年、「霞ヶ浦の富栄養化の防止に関する条例」を制定して、水質保全を図ってきました。水質調査もさかんに行われており、インターネット上にも情報を公開している市民レベルの取り組みがあります(「あゆみさきプロジェクト」など)。
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