現在の国分寺が常陸国分寺「跡」という史跡になっているのは、よく考えてみれば変な話です。国分寺という名前は継承されましたが、長い歴史の中で、何度も焼失・再建を繰り返し、寺の性格も変わってきました。建立以来1,200年以上の時が経過し、その間にどのような変遷があったのかは想像もつきません。聖武天皇が鎮護国家建設を目的として、全国に国分寺を建立したことは皆さんも学校で学んだことでしょう。国分寺建立の詔(みことのり)が出されたのは741年(天平13年)ですから、『常陸国風土記』が編纂された養老年間(717〜724年)よりは少し年代が後になります。史跡碑のある辺りが常陸国分寺の伽藍の中門と考えられています。 『常府石岡の歴史』(川井正一「常陸国府の誕生」、同書、石岡市教育委員会、1997年、pp.11-73)では、この歴史的背景について詳しく解説されています。 また、1908年(明治41年)までこの中門跡には仁王門が建っていました。『目で見る土浦・石岡・つくばの100年』(1997年、郷土出版社)には、焼失前の仁王門の明治年間の写真が掲載されています(p.43)。
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