現在の国分寺の本堂です。本堂の細部をよく見ると、国分寺という寺名から想像する歴史的な寺という側面とは異なる、比較的新しい歴史のお寺さんの姿が見えてきます。まず、寄進の額には、この本堂が1926年(大正15年)8月に愛知県小島郡千代田村の岩田純治郎という人物によって修繕され寄進されたと記されています。「国分寺」と記された本堂正面の大きな額の縁の彫物も国分寺の風格にふさわしい精巧なものです。次に、この額には、1932年(昭和7年)、大日本帝国が満州国の独立を承認し、極東の平和が確保されたことを記念する文が刻まれています。第二次大戦後、戦争の記憶が失われつつある中、国分寺という意味深い寺の隅々にこうした当時の記憶が残されていることは大変興味深いものです。この本堂を見て、明治・大正・昭和と続く近代の歴史の中で、国分寺建立時に込められた鎮護国家の思想が、近代イデオロギーの護国思想の拠り所となって、国分寺が当時の石岡町民によって支えられてきたという背景が推察されてきました。
|