『石岡の地名』(石岡市文化財関係資料編さん会編、石岡市教育委員会、1996年)には、地名各説に加え、多数の古絵図が掲載されていて、石岡の歴史を知る貴重な資料集となっています。これらの古絵図のいくつかに千手院が描かれています。「天保年間府中町絵図」には、千手院、国分寺、ヤクシ(薬師堂)が隣接して描かれています。年代が下ると、なぜかこれら三者の位置関係が変わるのですが、この位置関係の不思議については話がややこしくなるので、ここでは割愛することにしましょう。千手院が描かれた最後の地図(大正14年石岡町市街図)を見ると、千手院があった場所は現在住宅地となった石岡市府中三丁目10〜11番地の辺りになります。石岡市教育委員会の説明板によると、千手院は818年(弘仁9年)に開基され、1919年(大正8年)、国分寺と合併して廃寺となったということです。この解説がないと、国分寺の山門と思ってしまうところです。818年という建立の年代にも、千手院、そして石岡の歴史の古さがうかがわれます。
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