常陸国分尼寺跡は、御覧のとおり、何もない草地です。このように見事に何もないと、ここがどのような空間だったか逆に想像が刺激されます。石岡市教育委員会の説明板には、「常陸国分尼寺跡は、一直線上に中門跡・金堂跡・講堂跡の礎石群が基壇上にあって保存され、全国的に見ても極めて貴重な遺跡である」と解説されています。 明治時代の初めまでは、尼寺跡には遺構が残っており、その後、尼寺跡は畑になって遺構の跡がなくなってしまったと何かで読んだ記憶があります。『石岡の地名』(石岡市文化財関係資料編さん会編、石岡市教育委員会、1996年)掲載の「明治17年迅速地図」(同書、pp.128-129)を見ると、確かにこれを裏付けるように尼寺跡は畑地になっています。
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