石岡小学校の片隅に、舟塚山古墳群の箱式石棺が置かれていました。「舟塚山古墳群第九号墳出土」と記されていますが、石岡市北根本の元の出土場所はどうなったのでしょうか。石岡市教育委員会の説明板によると、箱式石棺は、「霞ヶ浦周辺に濃密な分布をしめしている」と言います。また、「本古墳のように飛鳥、奈良時代に入ってつくられたものの方が、数多くみられる」とも解説されています。視点を変えてみれば、石岡市の茨城に茨城郡衙があった時代、『常陸国風土記』が編纂された時代のものです。ところで一体、この石はどこから来たものなのでしょう。龍神山から切り出されたものなのでしょうか。
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