石岡市街の旧宮下町を通り、恋瀬川沿いの低地(高浜の海)に出ました。染谷からR6へ抜ける石岡道路沿いで、総社宮のシンボルの獅子頭が交通安全をドライバーに訴えています。獅子頭は総社宮のシンボルというよりは、石岡市のシンボルと言った方がいいですね。古代都市・国府の建設と共に始まる石岡の町の歴史は、国府とほぼ年代を同じくする総社宮の歴史と共にあるといっても言い過ぎではありません。ところで、常陸国府があった当時、ここまで本当に高浜の海(流海の入り江の一つ、現在の霞ヶ浦)が来ていたのか、当時海はもっと後退していのかはよくわかりません。縄文海進の頃、海岸が総社宮の土手の下に来ていたのはおそらく間違いないと思います。『常陸国風土記』に記された高浜の海は本当に当時陸部のどの辺りにまで入り込んでいたのでしょう。これについて言及した資料がなぜか見当たりません。当時はここまで海が迫っていたとみなす方が『マッピング霞ヶ浦*』の「霞ヶ浦」観はさらに想像的、刺激的になります。しかし、そうだったと言える証拠は今のところ知りません。 さて、「〔97/08〕石岡・古代都市の面影をたどる」はこれでおしまいです。この日の映像シーケンスの続きは、「〔97/08〕石岡路」に収録してあります。「〔97/08〕石岡市国府七・六丁目」からの続きを御覧下さい。また、この企画の姉妹編で『常陸国風土記』との接点を探訪した新たな企画「〔99/08〕石岡・龍神紀行」も併せてお楽しみ下さい。
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