石岡市の旧木之地町の一角に上池という溜め池があったようです。『石岡の地名』の「昭和10年石岡町市街図」にもこの池が載っています。上池はいつまで残っていたのでしょう。池跡の現在地は公園になっていました。建物が立て込んだ町中にあってぽっかりと空いた空間になっています。石岡台地の端に当るこの辺は土地の起伏に特徴があり、坂下の旧宮下町へと続きます。この日、石岡市の主要な歴史的場所の一つ、常陸総社宮(常陸国総社宮)を訪れるのはパスしました。石岡にはこれからも訪れる機会があるので、次回また…ということにしました。その総社宮の脇の道を下り、石岡市街に入り直しました。総社宮はまさに石岡台地の端、かつての高浜の海に面する場所に立地しています。 常陸総社宮は、「社伝によれば聖武天皇の天平年間勅命により国家の鎮護として天神地祇の霊験の御神六柱を日本武尊の御遺跡である神石の辺りに勧請合祀し創建された」と伝えられています(『新治地区神社誌』、茨城県神社庁新治支部、1992年、p.1)。 国家の鎮護を祈るため、聖武天皇が国分寺を建立したことは数多くの資料で言及されていますが、この社伝は、仏教以外に神道が重んじられていたことを伝えています。
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