終戦直後から工事が進められていた「出島用水」は、約20年の歳月をかけ昭和40年代初頭に完工しました。霞ヶ浦の水を出島地方の台地に揚げて、約1,000ヘクタールの農地に供給しようという大規模なものです。1958年(昭和33年)に出島用水の揚水が始まりました。『出島村史誌』に1966年(昭和41年)当時の記載があるので、引用してみましょう。「出島用水事業が完工 20年の歳月と1億7,700余万円の工費を投入して、工事が進められていた出島用水事業が完成し、その祝賀式が4月5日、新生開拓の分水場と南中学校の体育館で行われた。 終戦直後、海外から引き揚げた人たちのため、緊急開拓事業として、民有林とその間に散在する畑を買収して入植させた。また、地元の零細農家に対しては、増反者として認め、食料の増産と自作農の創設をし、新農村の建設をしてきた。買収を実施した総面積は670ヘクタール。うち、開田面積300ヘクタール、開畑227ヘクタール。 この事業は、開田面積300ヘクタールの潅漑用水として、水源を霞ヶ浦に求め、土浦市手野地内に揚水機場を設置。ここからポンプ揚水により、開田地域に送水するこの事業は、農林省が行う事業を県が行う代行開墾出島用水事業。 この出島用水の完成によって、1,356トンの米と894トンの雑穀の収量が確保される見通しとなった。」 (『出島村史誌』、出島村史誌編纂委員会、p.155)
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