戦後の町村合併で、1955年(昭和30年)に出島村が成立する以前、俗に出島八ヶ村という呼ばれ方がされていました。上大津村(現在は土浦市)、下大津村、志士庫村、美並村、安飾村、佐賀村、牛渡村(以上は旧出島村、現かすみがうら市(旧霞ヶ浦町))、関川村(現在は石岡市)の八ヶ村です。1889年(明治22年)の市制町村制施行時に成立したこれらの八ヶ村が、いつしか出島八ヶ村と括られるようになりました。出島用水は、上大津村、志士庫村、美並村を横断し、新生開拓は上大津村、志士庫村、美並村の境界にまたがっていました。出島用水は、出島村誕生後、旧佐賀村の区域(大平開拓)にまで延長されました。終戦直後の八ヶ村時代、用水名、土地改良区名に「出島」の呼称が適用されたことは、今から振り返ってみると画期的なことではなかったかと思われます。出島用水の取水口、揚水機場が上大津村手野にあったことは、出島という地域のつながりを改めて再確認させるものです。今回、「出島用水」を探訪してみて「出島」云々という呼び名は、旧上大津村内で目立っていると感じられました(出島開発揚水工事竣功記念碑、出島揚水機場=手野第一機場、出島排水樋管、旧出島土地改良区事務所=場所は上大津)。用水路建設によって、元々、これらの村々にあった社会的同一性の意識が進んだのではないでしょうか。「出島用水」「出島土地改良区」が果たして初めての公的な名称としての「出島」適用になるのかどうかは引き続き調べて見たいと思います。
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