新生開拓の西端は、かすみがうら市(旧霞ヶ浦町)の西端にもなります。信号のある交差点がその境界点です。交差点の進行方向手前がかすみがうら市(旧霞ヶ浦町)、その先の左手が土浦市、右手がかすみがうら市(旧千代田町)になります。この境界線際のかすみがうら市(旧霞ヶ浦町)側に出島揚水竣功記念碑が建っています。この地点は、一市二町の境界であるだけでなく、出島用水が土浦市、かすみがうら市(旧霞ヶ浦町)、かすみがうら市(旧千代田町)に供給されているという理由からか、出島用水の記憶を留める特別な場所ともなっているようです。 『出島村史誌』(出島村史誌編纂委員会、1998年)には、1966年、この記念碑の除幕式が行われた時の写真が掲載されています(p.151)。これを見ると、記念碑の前には出島用水の分水場が直径数メートルの円形をなし、幅3メートル程度(私の目測による)の幅広い用水路が開拓道路沿いに真っ直ぐに延びていた、在りし日の風景を見ることができます。記念碑は昔と同じですが、礎が新しくなったようです。
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