「出島揚水竣功記念碑」の前に立って、初めてこの記念碑の文面に接しました。記念碑は、1966年に建てられた当時と同じものですが、礎が新しくなり、碑の裏面の文面が新しく張り替えられてありました。この新しい石の文面が非常に読み取りにくかったのですが、何とか採録してみました。簡潔ながら、出島用水をよく理解することができますね。これを読んで、現在の出島用水が「霞ヶ浦用水」の補償事業として整備されたことを知りました。句読点は私が補いました。『出島村史誌』によると、1958年(昭和33年)、「新生開拓の西端から西成井の東端までの延長8,400メートルの用水路に、5月15日、土浦市手野の揚水機場から霞ヶ浦の水が送られた。」(同史誌、出島村史誌編纂委員会、p.69)と記されています。終戦直後から開発が進められた用水路ですが、結局のところは、揚水機場の完工を待たなければならならず、機場の完工からしばらくして出島の台地を用水が潤すことになったわけです。
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