この沿道は、出島用水を挟んで進行方向の左手の途中までがかすみがうら市(旧霞ヶ浦町)、それ以外は土浦市(左手は神立町、右手は神立東一丁目)になります。沿道は人家の少ない陸田です。西成井の外れから延々と続く新生開拓の西端になります。出島用水が地下パイプラインに変わり、かつての地上の用水路跡には雑草が生い茂っています。この一帯は、新生開拓の入植地が旧志士庫村(現かすみがうら市(旧霞ヶ浦町))と旧上大津村(現土浦市)にまたがっていたため、1961年(昭和36年)に境界変更が行われた区画の一つです。この時に出島用水が出島村(現かすみがうら市(旧霞ヶ浦町))と土浦市の境界線となりました。それ以前は、土浦市菅谷だったところです。また、多くの農家が出島村(宍倉・新生)に編入されました。1961年当時、新生開拓は80戸あったと言います。 (参考資料『出島村史誌』、出島村史誌編纂委員会、pp.104-105)
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